東京都の概要

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概要

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市区名 概要
千代田区は、1947年3月15日に麹町区と神田区が統合されて誕生しました。千代田という区名は、江戸城の別名「千代田城」にちなんだものです。区の中央には、区の面積の約12%を占める皇居(1.43km2)があります。
中央区は、江戸以来、400年以上にわたって日本の文化・商業・情報の中心として発展してきた由緒あるまちです。1947年に日本橋区と京橋区が統合され、現在の中央区が誕生しました。面積はわずか約10km2ですが、美しい水辺の景観や全国的に有名な「銀座」「日本橋」「築地」「月島」など魅力的なスポットを擁する、「遊」「職」「住」の三拍子そろった活気と魅力にあふれる都心のまちです。
港区は、1947年3月15日に旧芝、麻布、赤坂の3区が統合され誕生しました。東京都のほぼ南東部に位置し、北西一帯の高台地と、南東の東京湾に面した低地および芝浦海浜の埋め立て地からなっています。高台地は秩父山麓に端を発している武蔵野台地の末端で、これらの台地は小さな突起状の丘陵となっているため、東京23区の中で最も起伏に富んだ地形をもっています。
新宿区は、1947年3月15日に旧四谷・旧牛込・旧淀橋の3区が統合し発足しました。東京23区のほぼ中央に位置し、面積は18.22km2。23区中13番目の広さです。歌舞伎町や西新宿などの繁華街を有する一方、緑豊かな新宿御苑や、情緒ある神楽坂、住宅街の落合など様々な特色を持つ都市です。
文京区は、東京23区の中心部に位置し、由緒ある寺社、歴史を語る建造物等が数多く残るほか、江戸の大名屋敷庭園の面影を残す庭園もあります。また、明治時代には東京大学をはじめ多くの学校がつくられ、さらに、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉、石川啄木など多くの文人ゆかりの地であり、緑豊かな文化の薫り高いまちとして発展してきました。
台東区は、東京23区のほぼ中心に位置し、面積10.11km2、西は上野の山、東は隅田川に接した典型的な下町で、面積は23区中で最も小さい区です。東京の北の玄関として交通の要所になっているほか、伝統、歴史、芸術などの豊かな文化資源を有し、四季折々の多彩な行事を通じて多くの来街者があります。
墨田区は、東京の母なる川、隅田川に沿って発展してきた、下町情緒が色濃く残る商工業の町です。この町には伝統に培われた確かな技術や物が溢れています。そして、歴史と文化に育まれた様々な行事が四季を通じて行われ、区の内外の皆さんに楽しんでいただいています。
江東区は、1947年に深川・城東の2区が合併し生まれました。現在の江東区は、水辺と緑に恵まれた自然的特性をいかしながら、「みんなでつくる伝統、未来 水彩都市・江東」を目指して、発展しています。中でも、臨海部の発展は著しく、2022年7月には人口53万人を突破しました。また、2021年開催の東京オリンピック・パラリンピック競技大会では、江東区に多くの競技場が配置され、更なる大きな発展の可能性を秘めています。
品川区は、東京都の南東部に位置し、東京湾に面する臨海部と山の手に連なる台地から形成され、面積は22.84km2で23区では平均的な広さです。人口は約40万人余りで、1964年をピークに減少していましたが、1998年以降は増加に転じています。
目黒区は、東京23区の南西部にあり、区内は台地の中を二つの川の谷が走り、起伏の多い地形です。1932年に目黒町と碑衾町が合併し誕生した、山の手の緑ある良好な住宅地です。世論調査でも、「住み続けたい」という人が90%を超える、良好な住環境が特徴です。
大田区は、1947年3月15日に当時の大森区と蒲田区が合併して誕生しました。東京都の東南部に位置し、海と川に臨み、昔から人が住みやすく、交通の要路として栄えてきました。江戸期は農漁村で、海岸の大森・糀谷・羽田地区では1963年頃まで海苔の養殖が盛んに行われました。大正期以降、中小工場が進出し、低地部は住宅や工場が密集する商業・工業地域を形成し、京浜工業地帯の一部となっています。また、台地部は、田園調布、雪谷、久が原など比較的緑の多い住宅地です。臨海部は埋め立て地で、羽田空港をはじめトラックターミナルや市場など物流施設のほか、工場団地、野鳥公園など都市機能施設が整備されています。
世田谷区は、23区中の西南端にあり、東は目黒区・渋谷区、北は杉並区・三鷹市、西は狛江市・調布市、南は大田区とそれぞれ接し、さらに多摩川をはさんで神奈川県川崎市と向かい合っています。現在約91万人の住む住宅都市となり、開発が進む中、緑化の推進や環境保全など、潤いのあるまちづくりに取り組んでいます。
渋谷区は、1932年10月1日に渋谷町・千駄ヶ谷町・代々幡町が合併し、ほかの79町村とともに大東京35区の一環として誕生しました。渋谷や原宿周辺の都市部は、ファッション関係の店舗をはじめ、表参道ヒルズ、渋谷ヒカリエ、渋谷ストリーム、渋谷スクランブルスクエア、WITH HARAJUKU、MIYASHITA PARKなどさまざまな商業ビル・施設があり、区民だけでなく多くの来街者が集まるエリアです。また、都心でありながらも明治神宮や代々木公園など自然豊かな場所にも恵まれている区です。
中野区は、1889年、甲武鉄道(現・中央線)の開通で中野駅が開設され、近郊住宅地として発展しました。その後、西武新宿線や地下鉄丸の内線の開通により人口増加と宅地化が一層進行しました。人口密度は東京23区の中でも上位に位置し、世帯の6割以上は単身世帯、また、65歳以上の人口は、年々増加しており20.1%を占めています。最も多い年齢層は、25~29歳となっています(2023年1月現在)。中野駅周辺のまちづくりの進展により、2012年にオープンした「中野四季の都市(まち)」に大学や企業が集積し、占めている昼間人口が増えました。さらに、中野駅新北口の整備や駅周辺各地区の再開発により、中野が「東京の新たなエネルギーを生み出す活動拠点」となることを目指しています。
杉並区は、東京23区の最西部に位置し、地名は江戸時代の初めに領地の境である青梅街道に沿って植えられた杉並木が由来となっています。杉並木はなくなりましたが、村名、町名として採用され、1932年の区制施行を経て現在に至っています。関東大震災以降、農村的たたずまいから住宅地へと変貌を遂げ、文化人や学者が多数移住するなど、今日に至るまで良好な住宅都市として発展を続け、現在では、人口が57万人を数えるまでに至っています。
豊島区は、ソメイヨシノ桜発祥の地駒込、「おばあちゃんの原宿」の巣鴨、昼夜を問わず賑わいをみせる池袋、歴史と文化の雑司が谷、緑豊かで格調ある目白、「トキワ荘マンガミュージアム」が所在する南長崎、池袋モンパルナスの面影残る長崎・要町・千早など、さまざまな顔を持っています。多様な文化資源を有する豊島区の強みを最大限に活かしながら、SDGsによるまちづくりをすすめ、人や産業を惹きつける「国際アート・カルチャー都市」を目指しています。
北区は、武蔵野台地の縁辺部から東京低地へと連続した地勢を有し、荒川、隅田川、石神井川といった水辺空間に囲まれた、緑豊かな自然が魅力のまちです。これら河川周辺は憩いの空間として整備されており、週末にはスポーツやレジャーを楽しむ多くの人々で賑わっています。一方、JRの駅が都内最多の11駅あり、加えて、地下鉄・都電が区内各所を走っているため、交通の利便性が抜群です。また、子どもが安心して遊べる公園が数多く設置され、商店街も活気があり、暮らしやすい環境がそろっています。
荒川区は、東京都の北東部に位置する、人口21万人の街です。区の目指す将来像を「幸福実感都市あらかわ」として掲げ、区民が真に幸福を実感できるあたたかい地域社会の実現に向け、幸福を計る尺度となる荒川区民総幸福度(GAH)を数値化し、施策の進捗を測る指標として活用しています。
板橋区は、1932年の市郡併合により誕生しました。1947年に特別区として東京22区の一つとなり、同年8月に面積の60%が練馬区として分離し、現在に至っています。23区の北西部に位置し、区内には荒川・新河岸川・石神井川の水辺空間が広がり自然林が多く残されています。一方、駅周辺を中心とした近隣型の商店街が形成され利便性が高いです。こうした環境から定住性のある都市として成熟し、地域住民のふれあいも活発です。
練馬区は、1947年8月1日に東京都の23番目の特別区として板橋区から分離独立し、農村から都市へと変貌を遂げてきました。みどり豊かな環境と都心に近い利便性が両立する、良好な住宅都市となっています。
足立区は、荒川をはじめとした水辺や区内に点在する公園の緑などの自然環境が豊かな街で、江戸四宿の一つである千住や西新井大師などの古き良き時代の香りが今なお残っています。近年は、駅前などの拠点整備や大学の開設が進み、伝統と新しさが融合した新たな魅力が生まれ、若者を中心に多くの人々で賑わう活気あふれる都市へと進化しています。
葛飾区は、東京の北東部に位置し、荒川、江戸川、中川など河川に囲まれた自然豊かな、下町人情溢れるまちです。映画『男はつらいよ』の舞台となり、都内では初の国の重要文化的景観に選定された柴又や「こちら葛飾区亀有公園前派出所」で有名な亀有、世界的に有名なサッカー漫画「キャプテン翼」ゆかりの地である立石・四つ木、6月に区の花・花菖蒲が咲き誇る堀切菖蒲園や広大な水郷景観のある水元公園などには、多くの観光客の方にお越しいただいています。代表的な区ゆかりの玩具である「リカちゃん」「トミカ」「人生ゲーム」「モンチッチ」などを活用したPRやイベントも好評です。区では現在、子育てや教育、福祉施策、SDGsにも力を入れています。
江戸川区は、東京の東端に位置し、総面積は49.09km2で、水と緑に恵まれた快適環境都市、熟年者・子育て施策が充実した福祉先進都市です。また、活発な産業と豊かな文化・コミュニティ活動を基盤とした活気あふれるまちです。
八王子市は、都心から西へ約40kmの距離に位置しています。地形はおおむね盆地状で北・西・南は海抜200~800mほどの丘陵地帯に囲まれ、東は関東平野に続いています。市内には21の大学等が立地し、約9万5,000人の学生が学ぶ全国有数の学園都市でもあります。2015年には東京都初の中核市となり、2017年には市制施行から100年を迎え、人口58万人の多摩地区のリーディングシティとして、発展を続けています。
立川市は、東京都のほぼ中央、西に位置し、昭島市、小平市、日野市、国分寺市、国立市、福生市、東大和市、武蔵村山市と接しています。市域の中央は、商業の中心地と立川基地の跡地を利用した新しい街で、北部には、武蔵野の緑豊かな地域が広がっています。
武蔵野市は、23区と多摩地区の接点に位置し、コンパクトさを活かした利便性の高い都市でありながら、緑豊かで良好な住環境が広がる住宅都市です。個性豊かな三つの駅圏域(吉祥寺、三鷹北口、武蔵境)があり、それぞれ独自の魅力を築いてきました。市民自治や成熟した文化、高い環境意識によりまちづくりが行われ、今も発展を続けています。
三鷹市は、太宰治、山本有三など多くの文学者が住み、優れた作品を生み出した文学の薫り高いまちです。また、井の頭公園、国立天文台、野川・仙川など、「緑と水の公園都市」にふさわしい豊かな自然環境に恵まれています。2017年4月にオープンした三鷹中央防災公園・元気創造プラザを中心に、多世代交流と多職種連携による、誰もがいきいきと豊かな暮らしを実現できる「高環境・高福祉」のまちづくりを進めています。
青梅市は、東京都の西北部にあり都心から西へ40kmから60km圏に位置し、秩父多摩甲斐国立公園の玄関口として、豊かな自然環境と歴史を感じる街並みが調和した都市です。また、豊かな森林を背景として東西を貫く多摩川は、市民に憩いと潤いを与えるとともに、首都圏における観光・レクリエーションの場として賑わっています。
府中市は、東京都のほぼ中心に位置し、1954年に、府中町、多磨村及び西府村が合併して誕生しました。「府中」という地名は、奈良・平安時代に武蔵国の国府が置かれていたことに由来しており、現在も市内には、国指定の重要文化財を含む有形無形の文化財が数多く存在し、歴史の面影が色濃く残っています。また、瀬や波の音に心が和む多摩川、ムサシノキスゲが可憐に咲く浅間山、国指定天然記念物「馬場大門のケヤキ並木」など、豊かな自然にも恵まれています。2024年4月には市制施行70周年を迎え、人口約26万人を擁する多摩地域の中核的都市として、現在も発展・成長を続けています。
昭島市は、北多摩郡昭和町と拝島村が合併し、東京都で7番目の市として誕生しました。東京都のほぼ中央に位置し、人口は11万人を超え、都市基盤と恵まれた水や緑の環境が調和した住宅都市として発展を続けています。1961年、およそ200万年前のクジラの化石が発見され、以来、アキシマクジラとして市のシンボルとなっています。2018年1月1日、このアキシマクジラがコククジラ属の新種として、学名「エスクリクティウス アキシマエンシス」が付与されました。
調布市は、1955年に北多摩郡調布町と神代町が合併し、誕生しました。東京都のほぼ中央に位置し、7市区と隣接、面積は21.58km2で、東西に走る京王線と国道20号線(甲州街道)、中央自動車道を中心に市街地を形成しています。京王線で新宿まで15分という立地のよさに加え、深大寺や国分寺崖線、多摩川など自然にも恵まれています。
町田市は、都心から30~40kmに位置し、神奈川県と境を接しています。大規模団地と住宅地が広がり中心市街地は商圏人口200万人の商業地です。周辺部は緑豊な自然や文化遺産などがあり魅力ある都市を形成しています。市内には多くの大学もあり、街に出ると若者がたくさん集まる活気に満ちた元気なまちの姿が随所に見られます。2022年度からスタートした町田市基本構想・基本計画「まちだ未来づくりビジョン2040」に掲げた3つの“なりたいまちの姿”と1つの“行政経営の姿”の実現に向け、取り組んでいます。
小金井市は、東京都のほぼ中央、武蔵野台地の南西部にあり、都心から約25km西方に位置しています。市内に大学、研究施設が設置され、また、都立小金井公園、都立野川公園など、多くの公園があり、みどりの多い住宅都市、文教都市としてよく知られています。
小平市は、東京都の多摩地域の武蔵野台地上にあり、都心からは26kmのところに位置し、面積は20.51km2です。1654年、玉川上水の開通がきっかけで、玉川上水から用水を引き、生活用水とすることで、江戸の近郊農村として開発が進みました。戦後、都心部のベッドタウンとして、また工場の進出もあって人口が急激に増加し、1962年に市制を施行しました。「小平」の名前は、初めて開拓されたところが「小」川村であり、また地形が「平」坦だったところから、名付けられたということです。近年は、地域文化の育つ環境が整いつつあります。また、玉川上水・野火止用水など、過去から受け継がれてきた豊かな自然環境を生かしながら、新しいまちづくりが始まろうとしています。
日野市は、東京都のほぼ中央部に位置します。多摩川・浅川が流れ、湧水にめぐまれた台地と緑豊かな丘陵を持ち、農業用水路が張りめぐらされて水田や雑木林が残る、水と緑が豊かなまちです。かつては農業中心の宿場町で「多摩の米倉」とも言われました。昭和初期以降は、企業を誘致し、戦後は大規模団地の開発も行われ、自然に恵まれた住宅都市として発展しています。
東村山市は、武蔵野台地のほぼ中央に位置し、狭山丘陵を背に、東にひろがる自然環境に恵まれた緑あふれるまちです。また1964年の市制施行以来、多摩地区北部に位置する都市として発展をとげています。国宝建造物に指定されている「正福寺地蔵堂」をはじめ、新東京百景に選定された様々な花菖蒲が咲き誇る「北山公園」や「八国山緑地」、「狭山公園」など緑豊かな歴史あるまちです。
国分寺市は、東京都の重心に位置し、JR中央線・武蔵野線、西武線が縦横に走り、多摩地域の交通の要衝です。市域北側は武蔵野段丘面、南側は立川段丘面上に立地し、国分寺崖線によって分かれています。この崖線下からは清らかな水が湧き出し、環境省の名水百選にお鷹の道・真姿の池湧水群が選定され、都立殿ヶ谷戸庭園は名勝に指定されています。武蔵国分寺跡は、奈良時代に鎮護国家を願った聖武天皇が全国に建てた国分寺のひとつで、現在では国分寺の名を残す自治体は国分寺市のみです。大正11年(1922)に国史跡に指定され、2022年に指定100周年を迎えました。このように水と緑に彩られた歴史と文化のまちです。
国立市は、東京都のほぼ中心に位置する、面積8.15km2の全国で4番目に小さい市です。市内の国立駅から、南へ真っすぐ伸びた大学通りは幅が44mもあり、国立市のメインストリートです。その道の両側のグリーンベルトには桜といちょうが交互に植えられ、この景色は新東京百景にも選ばれ、「くにたち」の象徴となっています。
福生市は、都心から西へ40km、武蔵野台地の西端に位置します。美しい奥多摩の山並みを望み、市の西部を流れる多摩川では多くの野鳥を見ることができます。福生市に関わる一人ひとりが日常生活や夢に自分らしく向き合い、また、その姿をお互いに受け入れ、尊重し合っていけるようなまちの実現を目指しています。
狛江市は、東京都下の多摩丘陵の東南端多摩川沿岸に位置します。南を流れる多摩川の川底からハマグリの群れが化石となって発見されたことから、昔は潮が差し込んだ多摩川の河口であったことが証明されています。さらに、いまもこの丘陵台地のいたるところから縄文式の土器や石器類が発掘され、特に古墳時代に栄えていたことを物語る古墳が市内の邸内や畑の中に多く残っています。そして、これらの遺物や遺品等の多くは、日本歴史編成上の資料として大いに役立っており、これらは、当時栄えていた狛江を中心とした土地に住んでいた国司(くにづかさ)国造(くにのみやつこ)の人々の古墳であるといわれています。澄みきった空、緑も多く武蔵野の野趣も富んだ狛江に住宅地を求める人々がふえ、東京のベッドタウンとなっています。
東大和市は、1919年11月の村制実施の際、政争の盛んであった芋窪、蔵敷、奈良橋、高木、狭山、清水の6か村が大いに和して一つの村にまとめられたことから、その名も大和村と称していました。1954年5月3日には町制を施行し、大和町が誕生しました。そして、1970年10月1日には市制を施行し、名称を東京の大和ということから「東大和」と改め、現在に至っています。
清瀬市は1970年10月1日に市制を施行し、2020年に市制施行50周年を迎えました。水と緑に恵まれた豊かな自然環境、収穫量において都内最大のシェアを誇るにんじんをはじめとする都市農業、多くの医療・福祉施設と関係高等教育機関の集積といった、近隣市には見られない個性を持っています。都心から25km圏内に位置しており都心へアクセスが良好である一方、武蔵野の原風景をそのまま残す雑木林、市内を流れる柳瀬川・空堀川など豊かな自然環境が広がり、程よい快適性と程よい利便性を兼ね備えたコンパクトシティです。
東久留米市は、1889年久留米村として誕生、その後久留米町を経て、1970年10月1日に市制施行しました。古多摩川の作った扇状地の真上にあり、地下には豊富な地下水が流れていて、湧水(ゆうすい)の多いまちとして知られています。2008年6月には「落合川と南沢湧水(ゆうすい)群」が「平成の名水百選」に選ばれました。
武蔵村山市は、都下市町圏の北部よりのほぼ中央に位置し、狭山丘陵の自然を背景に栄えてきた街です。現在まで市内には軌道交通がありませんが、多摩都市モノレールの市内延伸の実現に向け都市核地区土地区画整理事業など豊かな自然を生かしたまちづくりに取り組んでいます。伝統工芸品である村山大島紬、村山かてうどん、村山みかん、村山デエダラまつりなどが有名です。
多摩市は、東京都心から電車で約30分、全国的にも有名な多摩ニュータウンの中心に位置し、豊かな自然と快適な都市生活が調和したまちです。また、多摩ニュータウンの中心地である多摩センターは、「ハローキティに会える街」としても親しまれています。2021年11月1日に市制施行50周年を迎えました。
稲城市は、多摩ニュータウンの東の入口に位置しており、緑も多く住みやすい街として評価の高い街です。特産物は梨とぶどうで、市内には多くの梨畑があり、春には白い花で埋め尽くされる風景は、稲城市の特色のひとつです。
羽村市は、1991年11月1日に市制を施行しました。市の西から南にかけて多摩川が流れ、2014年に選奨土木遺産として認定を受けた、玉川上水の羽村取水堰があるまちとして知られています。都市基盤整備によって進めてきた職住近接のまちづくりにより、住宅地と工業団地が造成され、活気があふれています。
あきる野市は、都心から40~50km圏に位置し、秋川と平井川の二つの川を軸として、比較的緩やかな秋川丘陵・羽村草花丘陵に囲まれる平坦部と、奥多摩の山々に連なる山間部から形成されています。東は福生市、羽村市、西は檜原村、奥多摩町、南は八王子市、北は日の出町、青梅市に接しています。特に、平坦部は秋留台地からなり、南に秋川、北に平井川が流れ、市街地は二つの川沿いに形成しています。
西東京市は、古くから宿場町、商業の拠点として栄えた田無市と、農村地帯から住宅都市へと変貌を遂げた保谷市が合併して誕生したまちです。武蔵野台地のほぼ中央で、東京都の西北部に位置し、北は埼玉県新座市、南は武蔵野市および小金井市、東は練馬区、西は小平市および東久留米市に接しています。

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※行政機関により公表していない地域及びデータがございます。東京23区以外の政令指定都市は、市全体のデータとして表示しています。

※提供データには細心の注意を払っておりますが、調査時期により現状と異なる場合があります。最新の情報につきましては各市区役所までお問合せください。

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